海外生活

今月から海外生活が始まりました。

期間は1年間。長いようで短いとよく言われます。

 

せっかくの機会ですので、充実した1年になればいいなと思います。

 

1年を通しての目標

・英語でネイティブと普通に会話ができるようになる

・英検一級とれる実力→来年受験する

・観光(とりあえず有名どころ制覇)

・体を引き締める(笑)

 

パッと思いついたものを書いたのですが、

半分は過去の記事に書いたものと変わってないですね(笑)

 

以上

続・生きる意味

前回、生きる意味は(答えがあるとしてもないとしても)我々人間にはわからないし、理解できない。と書きました。その続きです。生きる意味はわからないけれど、分からない中でも生き方を模索していきたい。

 

・自分は世界(=宇宙)だということ

 この世のものは、原子、波動でできている。自分も原子の集合体である。「クレオパトラの尿が、今、私の飲んでいるコップの水に含まれている」というフレーズを以前どこかで耳にした。かつて路傍の石ころだった原子が、今の自分に存在するということ。自分の体もいずれ朽ち果てて、別の何かに変化していく。世界は運動を続ける原子の集合体で、自分もその一部であるということ。

 

・世界は形を変えて回り続けているということ

 あらゆるものは形を変えていく。この世は諸行無常である。自分の肉体も同じ。いずれ朽ち果てる。それでも私の肉体を構成していた原子は、形を変え、また別の何かになって世界に残り続ける。死、とは精神が肉体を離れるだけのことである。自分の影響を受けて、自分の死後も世界は回り続ける。

 

・なぜ生きるのか

 諸行無常の流れの中で、偶然にも自分がこの世に生まれた。自分の行動(あるいは行動しなくても)は、世界に影響を及ぼす。そして世界はずっと回り続けていく。

 世界は、自分の影響を受けるために、自分を生み出したのではないか?

 何のために生きるのか、と自分が考えると同時に、世界のほうも自分に対して、お前は何のために生まれてきたのか、お前はどういう影響を世界に与えるために生まれてきたのか?と問うているではないか?

 自分が生まれたことによって、世界は影響を受け、変わっていく。世界はどう変わっていくのか?自分は世界をどう変えていきたいのか?

 自分の選択で世界が変わるなら、自分の望んだ世界にしたい。自分ならではの価値観を大切に、自分ならではの影響を世界に与えていく。自分に生まれたことを最大限主張し、生きていく。人生をかけて、世界に対し、自分の生まれた意味を示し続ける。

 要は、好きなことをやって、好きに生きていく。そして世界を自分の好きなように変えていくために生まれてきた。ということ。

 

10分で書いたので、また今度ちゃんとまとめるかも。

やること

前回の記事に書いたように、TOEICでとりあえず目標達成(とは言い切れないが)しました。

TOEICの勉強をしていた時間がそのまま自由時間となり、暇なので、これからの暇つぶしのために新たな目標を掲げました。

 

①英語で現地人とコミュニケーションを不自由なくとれるようになる

②体重を減らす(現在74kg→目標65kg)

 

①は長期的な計画になると思いますし、達成したかどうかの判断も主観になるので気長に続けます。仕事で英語を使う機会が今後増えそうなのですが、TOEICの勉強だけでは聞き取ることは多少できても話すことは全くできない(言葉が出てこない)ので、これからはより実用的なトレーニングを進めていこうと思います。

②は達成したかどうかが定量的に判定できますので、比較的簡単だと思います。最近体重が増え、体力の衰えがはっきりわかるようになってきました。運動と食事制限を通して体を絞り、動ける体に戻ります。高校生の体力的にピークだったころがこれくらいの体重だったので、目標を65kgとしました。

 

人生に夢や目標は必要ないと思っています。

ただ、暇つぶしには目的があったほうがハリが出るので、今後はこれらを暇つぶしがてら楽しんでいこうと思います。

 

TOEIC結果

12月に受験したTOEICの結果が返ってきました。

 

LISTENING:450点

READING:425点

合計:875点

 

目標点数を910点と設定していましたが、未達。。。

ですが、社内基準では最高のS級を取得できましたので(875点以上が条件)、最低限の目標は達成です。

よって、いったんTOEICの勉強は終了としました。

 

ちなみに勉強内容は主に下の通り。

・単語

金のフレーズ/センテンス を何周も繰り返す

 

・文法

TOEICテストでる1000問

900点特急パート5&6

を繰り返す

 

で基礎を固めた後は公式問題集(#2~#6)を繰り返す。

 

ざっとこんな感じです。

 

リーディングの点数に伸びしろがあります。

リーディングは時間内ギリギリで終えるレベルでしたので、読む速度がまだまだ遅い。

基礎固めをだらだらしたせいで、期間内に公式問題集の反復があまりできていなかったのが反省です。

 

ご参考になれば幸いです。

英語の勉強

まだ英語(TOEIC)の勉強は続いています。

 

12/6にはTOEICを受けました。結果は12/下旬に返ってきます。

手ごたえはぼちぼちなので、結果次第では勉強終了してもいいかなと思っています。

一応、1月のTOEICも申し込み、受験資格はあります。(コロナの影響で受験者数を減らすため、最近は受験するのにも選考がある。)

 

やることは公式問題集。

朝早めに起きて通勤途中のマクドで勉強。

会社の昼休みに勉強。

夜、帰り途中に朝と同じマクドで勉強。

 

この繰り返しです。

目的をもつこと

何のために生きるのか。ということについて、現時点の考え。

 

前提として、「ここでいう何のために生きるのか」個人の話ではなく、人類についての話。真理みたいなものを指す。

 

◆結論:「何のために生きるのか」に対する答え(真理)があるとしてもないとしても、それを人間が理解することはできない。

 

◆考察:

 我々は何のために生きるのか。と考えるとき、「我々」がさすものは何か。つまり自分とは、本質的に何か。まず、この肉体が自分ではない。これはタンパク質であり原子の集合体。肉体は自分が生活で使用する道具と考える。では心が自分の本質?心=脳も道具である。肉体および心は生活で使用する道具なので、それらの使用者が自分の本質。この使用者は肉体および脳より高次に存在するため、認知できないと考える。

 「自分(の本質)は何のために生きているのか」は脳で理解することができない。

 

◆では、どうすればいいのか?

 どうもしなくていい。

 何のために生きるのか、答えが理解できないことがわかったら、もう考えなくていい。じゃあどうやって生きるのか。好きに生きればいい。やりたいことをやる。やりたくないことはやらない。そうはいっても、働かないと(=やりたくないことをやらないと)生きていけない。というのは、思い込みじゃないの?思う。とはいえ自分はまだ会社を辞めていないので、そこまで働くのが嫌じゃないのか、この考え方に確認が持てていない(あるいはどっちも)。

承認欲求

ここ最近、昔のことをよく思い返しています。

 

入社したてのころのエネルギッシュな自分。

朝5時に起床し、ジョギング10km、筋トレしてシャワーを浴びて出社していました。

帰宅後は勉強し、早めに眠る。

4年くらい前の私です。

 

今は、出社直前に起床し、眠い目をこすりながら出社。帰宅後はだらだらテレビを見つつスマホをいじって夜更かし。

 

客観的にみると、入社当時の私のほうは、充実した日々を送っていそうに見えるし、現在の私は怠惰でだらしない日々を送っていそうに見えます。

しかし、私の感想は、「どちらもそんなに変わらない」です。

 

入社当時の私は、できるサラリーマンになるぞ、周りより早く出世するぞ、みたいなことを考え、自分を磨いていました。その心理の背後には、優越感を感じたい、自分は優秀だと認められたい、という承認欲求みたいなものがありました。それは、ミスできない、周りより良い成績をとらなければならない、努力をやめてはならない、という強迫観念に変わりました。常にこの強迫観念に追われているような、落ち着かない気持ちでした。

 

現在は、上のような承認欲求は弱くなりました。しかし、多少は残っています。そのため、怠惰な日々を送っていると、ふと、周りは努力しているんじゃないか、自分は置いて行かれるんじゃないか、という焦燥感にかられます。だからこそ、英語を勉強してみたり、筋トレを再開してみたり、いまだにしています。

 

こういった承認欲求とか、強迫観念から何かをやってみても、何も得られない気がします。それは、承認欲求にはキリがないから。テストで良い点とったり、筋トレしていい体になっても、周りには自分よりすごい人達がいっぱいいます。自分なりの目標を立ててがんばってみても、目標達成すれば次の目標立てて、その繰り返し。得られるのはつかの間の達成感と、次の目標を達成しなければ、という終わりのない強迫観念。そのうち疲れてやめてしまうだけです。

 

じゃあどうすればいいの、って思いますが、現時点での自分の答えは「何も考えずにやる」。これだけです。英語の勉強やってても、「周りより良い点とらないと」とか「これ勉強して将来何の役に立つんだろう」とか考えてしまいます。筋トレしてても「筋肉つけて意味あるんか」とか思います。そういう考えが頭に浮かんだとき、聞こえないふりをする。で、とりあえずやる。やってることに没頭できたとき、心地よさを感じます。