目的をもつこと

何のために生きるのか。ということについて、現時点の考え。

 

前提として、「ここでいう何のために生きるのか」個人の話ではなく、人類についての話。真理みたいなものを指す。

 

◆結論:「何のために生きるのか」に対する答え(真理)があるとしてもないとしても、それを人間が理解することはできない。

 

◆考察:

 我々は何のために生きるのか。と考えるとき、「我々」がさすものは何か。つまり自分とは、本質的に何か。まず、この肉体が自分ではない。これはタンパク質であり原子の集合体。肉体は自分が生活で使用する道具と考える。では心が自分の本質?心=脳も道具である。肉体および心は生活で使用する道具なので、それらの使用者が自分の本質。この使用者は肉体および脳より高次に存在するため、認知できないと考える。

 「自分(の本質)は何のために生きているのか」は脳で理解することができない。

 

◆では、どうすればいいのか?

 どうもしなくていい。

 何のために生きるのか、答えが理解できないことがわかったら、もう考えなくていい。じゃあどうやって生きるのか。好きに生きればいい。やりたいことをやる。やりたくないことはやらない。そうはいっても、働かないと(=やりたくないことをやらないと)生きていけない。というのは、思い込みじゃないの?思う。とはいえ自分はまだ会社を辞めていないので、そこまで働くのが嫌じゃないのか、この考え方に確認が持てていない(あるいはどっちも)。